本特集は、門前の今を、学生ボランティアの視点からつづったものです。地域との出会い・人との出会いは、彼ら彼女らにとって「支援する・される」という関係にとどまらない経験となっています。
「門前での経験と想い」 金沢大・1年
3月6日、発災後2ヶ月にしてようやく私は奥能登に支援に行けることとなった。ずっと金沢に居た私は、輪島市に向かう道路は報道通り悪路であり、渋滞を起こしているのだろうと思っていた。でも、そうではなかった。
確かに凸凹はあり路肩が落ちているところもあったが、車両はもう比較的通れるように思えた。渋滞も凹凸に気を付けるために速度を落とした走行をしているくらいで、帰省ラッシュの時の方がよっぽどひどいと感じた。
市街地を避ける配慮をするなど、ルートを選べば地域の方へ迷惑をかけないように目的地にたどり着くことができるという事実に、私はショックを受けた。しかし、道は復旧してきているのに、家はまだつぶれたままのところが多かった。少し町を歩くと、家々に貼られた危険度判定の色紙が目に映る。赤、黄、赤、赤。「丸2ヶ月でまだ、こんな…」と思わずにはいられなかった。「いち大学生が、何をできるのだろうか」と考えさせられる光景であった。
ボランティア活動の中で、地域の方とお話させていただくことができた。その方は長く門前にいらっしゃるようで、地理からお裁縫まで知識も豊富、そして気さくでいらっしゃった。地理に疎い私に奥能登の地理を教えてくださったり、一緒にアニメの話で盛り上がったり。大学のサークルで行っている金沢での支援活動についてお話しすると、「金沢〜?支援ったって、遊びだろ〜?」と少し揶揄うように言われ、「し、辛辣…」と思うこともあった。しかし、その後で「そういう『遊び』っぽい、明るい支援も必要だし、大学生にはそういう経験も大事」と伝えてくださり、とても温かい方だと思った。地元愛と豊かさ、温かさを感じたひと時だった。
今回の経験を通して、ある程度ボランティアが来られる状況なのにもかかわらず、人手が全く足りていない現状を知った。大学生は若くてある程度体力もあるので、現地できっと何か力になれるはず。ボランティアに興味のある大学生はぜひ現地に足を運び、地元の皆さんをお手伝いし、学びを得てほしい。私自身も、また門前に行きたいと思う。(終)
「初めての災害ボランティア」 金沢大・5年
門前町中心部はまさに惨状そのものだった。多くの家屋がペシャンコに潰れ、とても住むことができる状態とは言い難かった。ニュースで被災状況は見聞きしていたものの、実際の様子とは雲泥の差と言わざるをえなかった。想像を遥かに上回る被災地の厳しい現実を前に、一若造に何ができるのかと、途方に暮れてしまった。心に傷を負われた方とどう接すればいいのか、経験不足のせいで迷惑をかけないだろうか、最後までやり通せるのだろうかと、不安でしょうがなかった。
だがそれは杞憂に終わった。経験も物資もない中で知恵を出しあい、協力しあい、お互い足りないところを補いあった。被災された方からの感謝の言葉が確実に自信へと繋がっていった。被災された方の助けになるはずが、私のほうが助けられている気がして少し恥ずかしくなった。家屋の泥だしもがれきの撤去も決して楽とはいえない重作業であったが、助けを求めている人の笑顔と、協力しあえる仲間を思うと、身体中にどっと押し寄せてくる疲れとズキンズキンとした全身の筋肉痛も不思議と耐えることができた。バックグラウンドも関係なく、復興という大きな目標に向かって人々が一つになるこの連帯感は、味わったことのない、とても尊いものだった。
今回できたことは、数多ある支援活動のほんの一部にすぎない。終わりの見えないがれき撤去作業、被災者の心を温める足湯活動、仮設住居での支援活動など、やるべきことは山ほど残っている。一刻も早い復興を成し遂げるには若い力が今まさに必要だと改めて認識した。今回得た経験を多くの人に伝え、協力者を増やしていくことがこれからの自分の使命だと胸に刻んだ。最後に、初めての災害ボランティアで不安だらけだった私の心に深く残った言葉を紹介したい。それは足湯活動の時のこと、来てくださった方からの一言だった。「調子の悪いところを顔に出したら、見ている相手も調子を悪くしてしまう。調子が悪いのなら相手の元気なところを少しでももらうようにしなさい」。次は私からいっぱい元気を分け与えたい、そう決心した。(終)
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