歯が欠けちゃった話
遅ればせながら、欠けてしまった歯を気にしながらの道中報告です。門前での私の仕事は、学生ボラの受け入れ・コーディネーションのはずですが、実際には、一緒にいるシャンティさんの一員となって、片付け先やガテン系の応援に行くことが多いです。個人的には若者と一緒に小隊長的に投入されるのが大好きで、教授業より遥かに向いている気がするので、喜んで行くのですが、歳には勝てないということと、ある意味で能登被災地の現状を、さらには日本の未来も物語っていると思うので、小咄的に。
少し前の話なのですが、シャンティさんの連携団体(ということは自分らの連携団体とも言える)ハビタットのカコさんへの増援として、私たちが向かうことになりました。と言ってもメンツは私と男子学生さん1人。最初は軽トラ案件だったので、2週間ぶり4度目の半クラ発進にドキドキしていたのですが、それはキャンセルになって、自分の活動車で黒島へ向かいました。杉野さん・山本さんの応援隊ではなく、カコさんが個別に受けた土壁案件でした。
すでにカコさんが手配した(どこでこういう人材に知り合うのか、本当にすごい人です)丸鋸を操るガチガテンの方々が2人、カコさん、そして私たち、というチーム構成です。
側溝に崩れた土壁を取り除く、というイージー案件に見えましたが、壁に補強で入っていた格子状の木材・竹材が狭い側溝の上に折り重なり、針金が釘のように尖った壁材も入っているため、剣スコが入っていきません。例の上質の土(能登の土壁は本当に上質ゆえ重い)も湿って、いつもの如く固く重く、重機のスペースもないので、バールやクワ(?!)で叩き崩す作業になりました。
それだけでも腰が激痛ものですが、問題は土嚢に入れた後。軽トラまで持ち上げる、荷台から仮置き場に放る、その土嚢が重くて持ち上がりません。ガテン系の方々はご専門とはいえボラということは引退後の60〜70代。依頼者は80代。「若い2人で持って」となると、学生さんと「わ、私ですか…」となります…。
しかも最近の若者は、身体のバネの使い方、をあまりご存知じゃないらしく笑、一人ではよう放りません(何気に大問題)。「こうやってやるんだ!」と手本を見せているうちに、噛み締めた奥歯が、バキっ…。
門前に戻る前に、歯医者に行くことに、なりました。
でもこの話は、私の奥歯だけにはとどまりません。奥能登のボラは足りない。それは量だけではなく、次世代育成、という問題でもあるのです。
今でも全然足りませんが、それでも奥能登のボラの数は増えています。しかし、気にしなければならないのは、若者、学生の数だと、私は考えています。神戸や東日本の時は大量に学生がいました。彼らは当時は(自分を含め)未熟だったけれど、その時にさまざまに経験を積んで、次の発災時に経験者として戦力となってきたのです。今の能登ボラの主力層は、私の前後かそれ以上の方々です。それはとてもリスペクトすべきことですし、若者もいないわけではないですが東北や熊本と比べるべくもないことも、また事実だと思います。今回の能登地震が、支援者の次世代の育成になっているかどうかを、もっと本気で考えなければならない。
現代日本の災害支援・復興の(特にソフト面での)主力は、常に「ボランタリーな力」でした。今回の能登は、その事実をスッポリと忘れてしまって、NGO・NPOやボラを下請け業者か何かのように勘違いしてしまっている。その結果として、減災力・復興力のために最も重要だった、次世代のボラ経験の伝承に失敗しつつある。これは能登はもちろん、それを超えた日本全体の問題になりつつあります。
震災伝承は、避難行動や被災時の悲惨さを語り継ぐだけではないはずです。それよりもむしろ、どうやってみんなで支えたのか、助け合ったのかこそ、語り継がれるべきなのではないかと思います。
まだ間に合います。能登は、門前は、若い力をまだまだ必要としています。今、能登復興を支えた経験を若者が積むことは、私たちの社会の防災・減災力に直結する。希望するすべての学生に能登に行く旅費を補填してでも、能登に送り込むべきタイミングなのではないか。
もちろんまずは、門前の復興が第一です。さらに、今、若者が来て門前を支えることが、この列島の減災力・復興力に直結するのだ、という観点も、忘れてはならないと、教授らしからぬ大学教員として、思ったりするのです。
活動報告 4月2日(火)
とるものもとりあえず、門前をめざす。はじめて行きで妙高に宿泊(プライベートだから例の割引上等)。翌日、日のあるうちに門前に入るとなると、おそらく今後はこのプランが必要。とはいえ道中ツラいから気をつけないとな…。
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