続・輪島・門前町報告(n) 7月20日
「テングのいない獅子舞」
一年半と二十日経って、なんとか少しずつ、本来の夏祭りを取り戻そうとしている能登・門前。
本来なら「ごうらい祭り」が続いていたはずの昨日の町内は、なんとなく寂しげだった。
でも、太鼓の音が響く今朝は、やっぱり違う。
いつもの商店街の「門前マルシェ」が、より濃く鮮やかに、色づいて見える。
先ほど、仮設住宅をサーキットする、櫛比太鼓の子どもたちを見送った。
本当は追いかけたいぐらいだったけれど、午後3時からの、本山の追悼会での演奏で、再会するつもりだ。
恐縮ながら今日の目的は、別にある。
まだ見たことがない、「走出の獅子舞」だ。
門前の獅子舞は、テングと4人建の獅子が向かい合い、息を合わせて競い合う、まさにその演舞こそが見どころである。
太鼓も曳山も大好きだし、キリコだって担ぐけど、どうしても目移りしてしまう。
それほどの美しさを誇る、テングと獅子の、まさに競演かつ共演。
先日のデジタル相談会準備の際に、金曜の夜の門前公民館で、走出の若衆の「走竜会」が獅子舞の練習をしているのをチラ見していた。
自分にとっては、YouTubeでしか見たことがない、走出の獅子舞に出会える、珍しい機会だ。
本日午後は予定全空け、すべての仕事を学生に押し付け(汗)、完全待機モードなのも、待ちきれなさゆえと、ご容赦いただきたい。
もっとも、待ちきれなくなるのはみんな同じだ。
こと、祭りとなると、能登の時間は、どんどん前倒しになる。
定刻30分前には、太鼓の子どもたちも走竜会の皆さんも、さらには町内の皆さんも続々と本山に集まって待っている。
おそらく法要としては相当、珍しいことに、大本山總持寺祖院の追悼会は、なんと「3分マイて」始まった。
そもそも、今日は、珍しいことだらけだ。
櫛比太鼓も、走出の獅子舞も、今日だけは大祖堂の屋内でやるらしい。
もともと「ごうらい祭り」は境内の広い庭でやるものだったから、お堂の中で演奏・演舞するのは、みなさんの記憶にないほど珍しいようだ。
これこそ新しい歴史と言えるほどの、お堂に響く「櫛比太鼓」と万雷の拍手のあとは、「走出の獅子舞」。
勇壮とユニークさを併せ持つ、テングと獅子の共演かつ競演だ。
そして、聞き覚えのある優しい声の、口上がはじまった。
「…總持寺祖院さんの今回はこのような追悼会にお招きいただき誠にありがとうございました。災害の追悼会ということで、私たちは、いつもとはちょっとだけ違う面持ちで、踊ってみたいなと思います。
地震と豪雨、2つの災害に遭われて、亡くなられた方に捧げる意味で、踊りたいと思います…。」
「…我々走出走竜会のなかで特別、今日の踊りを捧げたい人が2人います。この2人がいなければ多分、今日の獅子舞はここで踊れなかった、存続できていなかったと思います…。」
途中から自分の耳も心も震えてしまって、うまく聞き取れなくなってしまった。手元のカメラもブレブレだった。だから、聞き取れただけの不正確さを、ご容赦いただきたいと思う。それでも、記録される意味はあると思う。
「…2人がこの場にいないのはとても残念なことですが、せっかくなので、最後の踊りは、〇〇くんに踊ってもらおうと思います…。」
「姿は見えませんけども、心は一緒にいます…。どうか、〇〇くんの踊り、見てあげてください。お願いします…。」
2025年7月20日、大本山總持寺祖院の大伽藍の只中で、テングのいない獅子舞がはじまった。
テングのいない、獅子舞。
テングのいない、獅子舞。
そんな珍しいことが、起こり得るのだろうか。
実は私は素人すぎて、残念ながらその場では、その意味の深さを理解できなかった。
帰京する道中でハンドルを握りながら呟くうちに、やっと、それが何を示すのか、「テングと獅子との共演と競演」を最大の特徴とする門前獅子舞にとって、どれほど深い意味を表わすのかが、少しだけ、わかったような気がした。
テングのいない、獅子舞。
テングのいない、獅子舞。
「テングと獅子との共演と競演」によってのみ成り立つはずの、門前獅子舞にとっての、テングの不在。
しかしながら、テングは確かに居るのだ。居るべきなのだ。
それゆえ獅子は、虚空の中の存在をグッと睨み、その存在と競い合って舞う。
これほど、そこに居るべきその人のかけがえのなさを、その存在が失われた悲しみを、表現する技法が、他にあるだろうか。
そのことにやっと気付くと、枯れたはずの涙が、溢れ出てきた。
私は残念ながらお会いしたことがないけれど、そんな自分にでさえ、悲しみの大きさやかけがえのなさが、伝わってくる気がした。
そして、この地で、獅子舞が振られる理由が、やっとわかった気がした。
獅子舞は、この地の人々が、大事な「思い」を共有するために、振られるものなのだ。
これまで獅子舞は、どれほどの思いを載せて、振られてきたのだろうか。
待ちかねて取り囲んだみんなの視線の真ん中で、若衆の獅子舞は、地域のみんなの気持ちを載せて振る。
楽しい時は沸き立つほどの楽しい気持ちを、悲しい時は耐え難いほどの悲しい気持ちを。
この地の方々は、こうして、「思い」を共有してきたのだ。
それならもしかしたら「思いの共有」は、獅子舞だけではないかもしれない。
おそらくみんな、「思い」を共にするために太鼓をたたき、曳山をひき、神輿を担いできたのだ。
だから、この地と歴史を、心の底から愛し、大切にすることができているのだ。
東京にいる私たちは、はたしてこれほどの、「思い」を共有する技法を、持ち得ているだろうか。
本当は求めてやまない、その技法は、実は能登の地に、すでにずっとあったのではないか。
私たちが今、ズタズタに分断されているのは、この技法を見失っているからではないか。
現在の私たちは、「思いを共有する技法」を無視したり軽んじたりしてきた、代償を払いつつあるのではないか。
獅子舞は、太鼓は、ないしは「祭り」そのものは、単なる伝統文化や民俗文化財としてのみ、評価されるものではない。
この地にあって受け継がれているのは、人々が「思い」をすり合わせ、共有するための、最上級の技法なのだ。
だとすると、やはり「門前の獅子舞」は、その技法としても、一級品だ。
正直、心の底から、羨ましくなるほどの。
みんな、もっと感謝するべきだ。この獅子舞が今もなお、続いていることが、どれほど稀なのかについて。
珍しく、周りの人に、煩く語りかけたくなった。
活動報告 2025年7月20日(日)
6時半 起床
7時半 浦上公民館
8時 大隊編成のためピストンへ。もう草刈りはじまってる。第3小隊を館長さんと先行させる。
8時半 第2小隊を禅の里へ。自分は草刈り。すごい。
11時 終わっちゃった。公民館で昼寝。
12時 慌てて禅の里へ。
13時 獅子舞はじまる。あちこちに行く。
14時 マルシェで縁さんのお弁当を、サンドイッチ屋さんのテーブルでいただく。出店し続けてくださいね。
13時 本山で追悼会。櫛比太鼓。ごうらい祭りの新しいかたちかも。
14時 テングのいない獅子舞
15時 泣く泣く移動開始。拠点片付け。
17時 第1小隊を総湯に。
18時 第2小隊を新高岡に。
19時 七尾で合流。飯田に。
21時 とろやまも、共有の技法なのかもしれない。
23時 明日は5時起き。おやすみなさい。








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