続・輪島・門前町報告(10)9月30日

門前日記

「今度は、私たちの番だ」:9月水害の後で

続・輪島・門前町報告(7) 9月30日

ずっと、考えていた。

考えてしまっていた。

奥能登豪雨、「9月水害」と言われるこの被害に、どのような意味があるのか。

なぜ、こんなことが、起こってしまうか。

天災や震災に意味はない。そのとおりなのかもしれない。

でも、考えてしまう。悩まず未来だけ見ようとしても、

ふと、手を止めて、心を止めて、考えてしまう。

GW中に割れた瓦を片付け、掃き掃除までしたはずの側溝が、河泥で埋まって無くなっているのに気づいた、深見で。

咳き込むほどの悪臭の車庫から、青色化した泥を必死に掻き出した、その奥のドアが開いて、住民の方がお茶を持ってきてくださった、七浦で。

新旧の建物が寄り添い仲良く佇んでいた街が、歯が抜けたように解体される路地裏で、ここにいるはずのない方が再び避難されているのに出会った、門前公民館で。

こんな許されないことが、なぜ、起こってしまうのか。

こんな素敵で、尊敬に値する人たちに、このような表情をさせる災害とは、いったいなんなのか。

泥を掻く手を止めて、込み上げる怒りを止めて、考えてしまう。

なぜ、これほど美しい土地に、これほどの許し難い時間が来てしまうのか。

頭も心もグジャグジャなのを堪えて、流木を横目に、空気清浄機を届けに行く。

できる泥かきを少しだけして、手も心も止まりそうになるのを隠して、「また来ます」といつもの挨拶。

「必ず、来てな。」

また、ではなく、必ず、になっていた。

実はずっと顔色がすぐれないのを不安に感じていた。

「必ず」のところだけ、こちらを見る目の底に、意志がこもっていた。

何かに全身を打たれて、やっと、わかった気がした。

そうか、「今度は、私たちの番」なのだ。

今、試されているのは、試練に直面しているのは、私たちなのだ。

能登の大地も、そこに生きるひとたちも、もう十分、試された。

続く断水や不安の中での避難生活。

近未来を語るのにもエネルギーが必要な生活再建。

行政も、社協も、商店街も、区長も、住民も、もう十分、戦った。

だからおそらく、今度は、私たちの番なのだ。

9月の試練は、私たちの番、なのだ。

1月の震災と、9月の水害とで、ひとつ、決定的に違っている点がある。

それは、能登を支えようとする人たちが、1月よりずっと、能登を支えようとできている点だ。

ここ数年で、これほど、能登を見て支えたいと思っている人が多かった時が、あっただろうか。

これが試練なのだとしたら、どこまで支えられるか、という類の試練だ。

つまり、試されているのは、私たちなのだ。

実際、1月と比べて9月以降は、ボラの入り方も量も、物資の補給も、段違いに早く、有効になっている。

1月よりも、私たちにできることが増えている。

能登に行ける人は、1月よりずっと、早く上手に繰り返し、現地入りできている。

能登に行く人を支える人は、1月よりずっと、巧みにしっかりと、日々の業務を支えることができる。

物資を送る人、募金をする人も、1月よりずっと賢く、どこの誰にモノを送ればいいのか、資金を預ければいいのか、理解して実行できている。

初めてボラに行く人、能登を支えたいと思う人も、誰のどこにコンタクトを取ればいいのか、ずっと賢く動くことができつつある。

能登が直面するこの危機は、もはや、私たち全体の問題だ。

そもそも、この美しい能登を、9ヶ月も弱ったままにしまっていた、私たちの問題だ。

洪水に極端に弱い、放棄林に見て見ぬふりをして、治山治水に失敗した、私たちの問題だ。

歴史や文化を軽視し、一服のノスタルジー扱いして、過疎高齢化を正視してこなかった、私たちの問題だ。

まもなく尽きる化石燃料を炊きまくりながら、線状降水帯や地球温暖化に怯えるだけの、臆病な私たちの問題なのだ。

温暖化、過疎高齢化、放棄林をこれ以上そのままにしていくのであれば、次の「9月水害」は、「1月震災」は、困難な復旧という試練は、遅からず私たちの故郷を襲うことになるかもしれない。

その意味でも、「今度は、私たちの番」なのだ。

以前より私たちは、ずっと巧みに、能登を支えたり、社会を変えたりできるはずだ。

ボラセン、社協や行政に負担をかけずに、有効な支援を続けるのだ。

現地で機能するNPO、ボランティア団体を、物的に資金的に、支えつづけるのだ。

能登を支える人を、背後から支え続けるのだ。

そして能登の地域経済をまわし、歴史文化を本当に尊敬できるような、関わり方や支え方をめざし続けるのだ。

その延長上に、私たちの日本社会全体が過疎高齢化、地球温暖化、教育崩壊、来たる大震災に対峙するための方法や覚悟が詰まっている。

その意味でも、「今度は、私たちの番」なのだ。

「必ず、来ます。」

自分の目にも、力を入れることができるように感じた。

私の勘違いなのかもしれない。でももう、勘違いでもいいのだ。

9月水害後、1週間。1月よりずっと早く、私は門前に来ることができている。

できることしかできないが、できることを続けるのだ。

あらゆる意味で、「今度は、私たちの番」なのだから。

問題は、いつでも私たちにあるのだ。

今度は、私たちの番なのだ。

試されているのは、私たちなのだ。

能登はいつでも、もっとも大事なことを、私たちに教えてくれる。

活動報告 2024年9月30日(月)

帰京中。止まりそうな手や心を、理性で奮い立たせながら。

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