「禅の里」門前の歴史年表

約5,000年前

縄文時代、はじめて門前地方に人が住み着いた。

1321年

總持寺関連 總持寺成立:瑩山紹瑾が、總持寺を禅寺として開創した。

1322年

總持寺関連 後醍醐天皇による綸旨:曹洞宗の出世道場、紫衣の着用を認められた。

1324年

總持寺関連 法衣の伝授:瑩山禅師が住持職を弟子の峨山禅師に譲渡した。

1592年

教育関連 江戸駿河台吉祥寺に、駒澤大学の前身である学林が設立される。

1615年

總持寺関連 總持寺が曹洞宗大本山に認定される:徳川幕府から法度を出され、大本山となった。

1689年

災害・天災 「洪水川崩御届」が提出される:深見村にて発生した洪水により、家屋が倒壊した。深見村の肝煎と組合頭が十村に届け出ている。

1744年

祭礼関連 黒島の神輿が作られた。

1756年

災害・天災 門前の凶作に付き御貸米願案文提出:今般の凶作のため、十村である走出村の豊右衛門の旅宿にて、御五役に対して、御寺(總持寺)と相談して貸米を下されるようお願いする。

1775年

災害・天災 總持寺塔頭正福寺焼失に関する注進状:御本山の總持寺の塔司である正福寺が21日夜に出火したため、走出村の跡組才許である丈左衛門より報告する。

1806年

災害・天災 文化3年總持寺大火:總持寺代官星の守善の覚書から。文化三年1月21日に、總持寺の如意庵より火災が発生。ちょうど伝法庵開基400回であったが強風のため大火となり、不蔵院、洞川庵以外が焼失した。

1812年

災害・天災 大火に対する總持寺再建・普請開始:この年から、文化3年大火に対する總持寺の再建普請が本格化した。

1870年

教育関連 金沢藩が学制改革を行い、「中学校」「小学校」を設けた。

1871年

文化 黒島の中谷昇太郎が東京遊学中に断髪して村に帰る(彼が最初にチョンマゲを切ったとのこと、門前の星野保五郎も早かったと伝えられている)。

災害・天災 七浦村矢徳にチフスが流行、死者が出た。

1872年

自治体の成立・統廃合 七尾県を廃し、加賀・能登を石川県とする。

自治体の成立・統廃合  門前郷の村々が能登国第8区となる。諸岡義比が戸長になる。

總持寺関連 總持寺が輪住制から独住制になる。

生業・経済関連 星野権九郎等が養蚕業の開発に尽力する。

1873年

自治体の成立・統廃合 總持寺の所有の墓地に火葬場と墓地を設置する願い:明治6年に古い火葬場が廃止されたのに従い、門前村、走出村、広瀬村で、門前村における總持寺所有除地の墓地があった亀山の墓地を整理し、かつ火葬場を設けたいとの願いを總持寺鑑守とともに提出した。

教育関連 石川県小学教則が発令される:門前、黒島、浦上小学校がそれぞれ発足した。

生業・経済関連 浦上の泉勘十郎が、稲の改良、苗の試作、茶畑作り、鯉・鰻の養殖などを行った。

災害・天災 黒島に大火があり、130戸が焼ける。

1874年

教育関連 劔地、内保、皆月、南の各小学校が発足する。

災害・天災 火災時人気不穏につき保護として官員派遣願が提出される:走出村の山崎家より出火、藁屋根のため燃え上がり延焼。門前村、清水村あわせ200戸が失われるだけでなく、15回も火災があったため、平穏にするべく官員を派遣してほしいと届けた。

1875年

教育関連 江崎、道下、荒屋の各小学校が発足する。

教育関連 中橋和之が饒石文庫を開設する。

1876年

教育関連 馬渡小学校が発足する(校舎が新築される)。

祭礼関連 安代原の獅子舞が誕生する。

1877年

災害・天災 黒島に火事があり、黒島小学校も焼ける。

災害・天災 皆月沖に朝鮮船が漂着、6人の死者を葬る。

生業・経済関連 諸岡義比の尽力により、櫛比村に養蚕伝習所ができる。

1878年

災害・天災 火災後の門前村の景況が報告される:4年前(1874年)の大火後の門前村の景況は、いまだに人民は動揺していて不穏、職業も実に苦慮している状況であることの報告があった。

1879年

自治体の成立・統廃合 鳳至、珠洲の2郡を合わせて郡長を置く。戸長役所を改めて戸長役場とする。

1882年

教育関連 「曹洞宗大学林専門本校」が設立、駒澤大学に繋がる。

1884年

生業・経済関連 皆月でしいら場餌取掟を決める。

1885年

生業・経済関連 黒島でしいらづけ漁法を導入する。

1886年

災害・天災 黒島の漁船が出漁中暴風雨にあい、6名死亡する。

1887年

生業・経済関連 七浦に養蚕伝習所ができる。

1889年

自治体の成立・統廃合 市町村制が敷かれ、櫛比、劔地、仁岸、阿岸、黒島、諸岡、七浦、浦上、本郷の各村ができる。

生業・経済関連 この頃、門前郷では馬の頭数が1,000頭を超えた。

1891年

教育関連 組合立櫛比高等小学校ができる。

總持寺関連 分離独立事件おこる。

1892年

生業・経済関連 鰯の〆粕を泉利十郎が作り営業し、繁盛する(黒島):鰯の〆粕とは、鰯を清水で洗い、煮沸して、機械を使って水分と脂肪分をとり、感想させて俵装したもの。富山や福井に持って行ったとのこと。

生業・経済関連 殖産興業に尽くした泉勘十郎が亡くなる。

生業・経済関連 門前地方の養蚕が漸く隆盛におもむく。

情報・通信関連 北國新聞が発刊される。

1894年

災害・天災 消防組の器械置き場設置の請書が提出される:櫛比村門前区では消防組を設置することになったが、区内堀端にそのための器械置き場を設置したいので申請するとのこと。

災害・天災 櫛比消防組がうまれる。

1896年

災害・天災 大洪水につき救恤義捐金募集:明治29年8月初旬に加賀地方が洪水に見舞われたが、能登は無事であったため、救恤(きゅうじゅつ)義捐金を鳳至郡で募集した。

生業・経済関連 各町村単位で農会ができる。

1897年

情報・通信関連 門前郵便局で電信事務が始まる。

1898年

災害・天災 總持寺焼失:明治31年4月13日午後9時ごろの出火により總持寺の伽藍の大半が焼失した。水不足のため、勅使門も守れなかった。とりあえず芳春院を仮法堂とし、瑞雲寺を仮僧堂に、慶徳寺を仮の事務所とするなど対応に追われた。

生業・経済関連 仁岸村に能登牛馬改良会社を設立する。

1899年

總持寺関連 地上権が設定される。

1900年

生業・経済関連 鳳至郡農会ができる。

生業・経済関連 七浦村に乾繭場がつくられる。

1901年

生業・経済関連 養蚕業などに尽くした岡田孫四郎が亡くなる。

1902年

生業・経済関連 小作人のために尽くした田谷忠蔵が亡くなる。

1903年

生業・経済関連 黒島農産株式会社を設立する。

生業・経済関連 漁業法実施にともない、劔地、深見、鹿磯、五十洲、吉浦、皆月に漁業組合が設立される。

生業・経済関連 しめ粕圧搾機を使うようになる。

1904年

總持寺関連 總持寺所有芳春院画像が国宝となる。

1905年

生業・経済関連 櫛比村に乾繭場が開設される。

教育関連 別所、内保、門前、猿橋、深田に農業補修学校ができる。

交通・道路関連 門前に人力車があらわれる。

1906年

總持寺関連 總持寺移転反対大会を穴水、七尾、金沢でひらく。

自治体の成立・統廃合 櫛比村、黒島村、諸岡村合併の県知事諮問に対し本郷、浦上村も含むことを具申する。

情報・通信関連 皆月の海軍望楼に無線電信が開始される。

1908年

總持寺関連 總持寺を神奈川県鶴見に移すことが決まる。

自治体の成立・統廃合 劔地村、仁岸村、阿岸村を合わせて劔地村とする。

教育関連 組合立櫛比高等小学校を解散する。

生業・経済関連 農作物に化学肥料をつかうようになる。

教育関連 深田小学校の設立に尽力した中本与十郎が亡くなる。

生業・経済関連 教育関連 殖産、自治、教育に尽くした伊藤篤政が亡くなる。

1909年

交通・道路関連 門前に乗合馬車があらわれる。

總持寺関連 螢山紹謹に常済大師の称号が贈られる。

1910年

自治関連 鹿磯青年団が誕生する。

1911年

總持寺関連 總持寺が横浜市・鶴見に移転する。

1913年

自治関連 櫛比警察分署が廃止される。

1915年

自治関連 黒島の青年団は南北に分かれていたが、黒島青年会と称して1つになる(村長は升谷和太郎でこれを会長とする)。

自治関連 11月10日 天皇即位の大典を挙げる 次の事業を計画遂行する:
剣地村 基本財産造成
黒島村 村役場建築
諸岡村 桐樹栽培
櫛比村 基本財産造成
浦上村 基本財産造成
七浦村 桐樹栽培
(本郷の記載なし)

1916年

自治関連 文部内務両大臣の訓令が発せられ、黒島青年団になる(黒島小学校長が会長に)。

1923年

文化『鳳至郡史』が公刊される。

1925年

教育関連 3月30日「曹洞宗大学」が、大学令による大学として認可される。「曹洞宗大学」を、「駒澤大学」へと改称。

1930年

自治体の成立・統廃合 櫛比村が門前町になる。

1934年

災害・天災 黒島村への義捐金を募集:明治9年3月3日に、黒島村の村民100名が沖の岩礁にて海苔を取っていた際に、強風で波が坂巻いて舟で帰ることができなくなり24名が遭難溺死した50年来の惨事で、一家で夫婦ないし妻がなくなった家が多数出たため、隣村の剣地村で義捐金を募った。

1954年

自治体の成立・統廃合 3月31日 鳳至郡門前町、浦上村、黒島村、七浦村、本郷村、諸岡村を廃し、その区域をもって鳳至郡門前町を設置する。

自治体の成立・統廃合 上本郷の8集落が分町を希望、穴水町への編入運動が起こる(1947年町議会にて否決される)。

1955年

生業・経済関連 タバコ栽培が最盛期を迎える。

1959年

災害・天災 8月25, 26日 奥能登豪雨(水害)が発生する。輪島市、穴水町、能都町および門前町等での、土砂災害による死者・行方不明者は37人とされる。

1986年

祭礼関連 門前町鬼屋の「ぞんべらまつり」が、8月22日に「石川県指定無形民俗文化財」に登録される。

文化『伝承冊子ほんごう』が出版される。

1995年

生業・経済関連 営農組合が「モロオカエーシー」に改称する。

2007年

災害・天災 3月25日「平成19年能登半島地震」発生。門前地区では震度6強を観測、大きな被害を受ける。

2018年

祭礼関連 11月、「能登のアマメハギ」がユネスコ無形文化遺産「来訪神:仮面・仮装の神々」の1つに登録される。門前町では、七浦地区皆月で1月2日にアマメハギが行われている(2026年現在)。

2024年

災害・天災 1月1日「令和6年能登半島地震」発生(1月震災)。

災害・天災 9月21日「令和6年奥能登豪雨」発生(9月水害)。