能登・門前町日記(2026年8月31日)

門前日記

能登・門前町日記 2026年8月31日 8月北陸水害編:

「能登・門前から氷見へ:154年目の(勝手な)恩返し(2)」

門前にいる私たちが、なんで氷見の災ボラにいるのか。長くて深くて「予想外」な理由、私的で恐縮ですが書き留めておきます。

もともと自分達は、被災があったら羽咋で活動するんだろうな、と予想していました。2024年1月の地震後、はじめて入った能登半島が、羽咋市だったのです。2024年は禅の里交流館(から通った自衛隊風呂!)や門前武道館(懐かしのA1ベッド!)を除き、羽咋から通っていました。

その羽咋が被災したら、災害ではなく祭り支援団体でありながら、すなわち危機対峙団体ではある自分たちも羽咋に行くだろう、と自然に思っていました。

一方、「8月北陸水害」の被災地には、それを上回る、さらに自分達にとって、というよりも門前にとってご縁のある土地が被災していました。それが、「氷見」です。そもそも、東京から門前に行く場合は、氷見から入って七尾から富来に抜けた方が早いくらいです。そのため、鹿磯にお世話になるようになってからは、むしろ高岡や氷見の方がお世話になることも多く、助けられたりもしていました。

そもそも「門前」と「氷見」には、県境や国境なんか問題にならないほど、ただならぬ深い関係があります。それが、「獅子舞」です。

門前の祭りに無くてはならない獅子舞、私たちが今年もたっぷりとお祭りで楽しませていただいた、知気女獅子舞、弥生会獅子舞、走出獅子舞、道下獅子舞。これからの栃木獅子舞、本市獅子舞、そして高根尾獅子舞…。そのルーツはすべて、安代原を経由して、氷見の「論田・熊無」にあるのです(諸説あり)。今から154年前、安代原の2人の若者が、氷見の論田・熊無で獅子舞を教わったという事実が、現在の豊かで得難くて多様な「門前獅子舞」文化を、生み出していたのです。

そのため元々、ここ2年は、9月は門前から氷見に通って、獅子舞を見る日々だったのでした。そしてその論田・熊無が、よりによって8月北陸水害で被災したのです。

ということで、「獅子舞が中止になるのはイヤ」の一心で、翌日に早速、論田・熊無に向かったのでした。論熊(と地元ではいう)はまさに予想外の被災状況で、家屋被害こそ顕著ではなかったものの、新築されたばかりの治水施設が被災したり、昨年から9月は毎週のように通った「獅子舞街道」こと幹線415号国道も通行止めとなるなど(今も通行止め)、甚大な被害でした。人力が必要そうな現状を、論田の自治会の皆様や「ろんくま」のご主人と確認した上で、災ボラをやるなら社協さんとワタリをつけたほうがいいだろうと、2年前にも行ったことがある「いきいき元気館」に行って、さらなる危機的状況を把握しました。

私たちが能登についたその日に、「氷見市災害ボランティア・支え合いセンター」は、ようやく再起動をはじめたばかりでした。ボラが集結するであろう体育館には、無人のパイプ椅子が20脚ほど車座に並ぶのみで、応援職員はまだ全社協からの2名に限られ、スコップもジョレンもこれから出さないと、というところ。サーキュレータは今まさにJCさんが数台から届けはじめたところでした。

愛する「門前獅子舞」のきっかけを与えてくれた氷見は、2年8ヶ月前の「震災」から2度目の、しかも被災状況が異なる「水害」に直面し、そこからの再起にもがき苦しんでいる。ちょうど2年前の浦上の、七浦の、深見の記憶が蘇りました。なぜかそこに、偶然かつ運命的に出会した自分。これは、「154年前の門前獅子舞の御恩を、2年前の経験を活かして返せ」ということなのではないか?

後になって冷静に考えてみると、「154年前の御恩」というのは私が勝手に感じているだけで、門前地元の方にとっても、変な話かもしれません。確かに氷見は安代原獅子舞のルーツではありますが、まったく別物として成立しましたし、門前の獅子舞は他にも様々な影響を受けています(それこそ羽咋とか)。でも、その時は本当にそう思えたのです。門前新町民のひとりとして(違うけど)、門前獅子舞を支える一員として(もっと違うけど)、2年前の奥能登豪雨の経験者として(これは間違ってない)、同じ能登半島の一員である氷見を手伝おうという意識の門前住民がいても、いいのではないか?

もちろん、門前は今でも、生活の再建・再起動で手一杯です。門前に生業がある方は、ぜひ引き続きそれを頑張ってもらいたい。でも、援軍的存在の自分なら少しはできる。ボラセンも手伝ったことあるし。そもそも9月は門前から氷見に通う予定だったので、その通う先を「氷見獅子舞ミュージアム」から、「氷見災害ボラセン」に変えればいいだけだ。

ということで、氷見ボラセンに通いはじめて4日目。サーキュレータのナンバリング(どれを1号機にするか決めた)、スコップ出しから、段階的にお手伝いしています。現場にも行き始めました。氷見ボラセンは、頑張っています。9月1日に富山新聞等に載りましたが(また見切れてた)、それは今後、ボラさんをたくさん受け入れるための手順確認やリーダー育成のためです。9月2日、4日に地域全体がひどく被災した中で、復旧のモデルケースとするべく、宇波地区に入りはじめまして、全国からボラさんを受け入れはじめています。高速無償化も氷見も適用になりました。9月3日は雨で、5日は調整日でお休みですが、6日はさらに80人規模をめざして募集しています。

手袋・お昼ご飯はご持参ください。逆に、スコップなどの得物は管理の都合上、まずボラセンのものを貸し出し手続きをきちんとしてお使いいただき、ご自身の私物と混ざらないようご留意願います。サーキュレーターは200台以上揃い、9月3日から貸し出し受付を開始の予定です。ボラさん用駐車場は少し距離のある近隣に移動になっていますのでご注意ください(スタッフ用はさらに離れます汗)。6日以降も現調・マッチングが進み次第、次々にご案内予定(状況からして直前のご案内なのはご寛容ください)なので、ぜひ事前登録をお願いいたします。

私は、まことに勝手で僭越な「門前獅子舞の御恩とご縁」を感じて、門前の一員として、氷見ボラセンでのお手伝いを続けようと思います。もちろん本籍は(勝手に)門前に置いていて、氷見ではあくまで(勝手に)客分です。門前での活動は続けますが、少し縮小いたします。門前マルシェでの「思い出サロン」と、「デジタル相談会」が月1回になる見込みです(氷見での負担が減り次第、元に戻します)。時々、氷見ボラセン内を、赤い不審者がウロウロしていると思いますが、不審者ではなく(でもないか)、勝手にご縁を感じて御恩を返そうという愚か者なだけなので、どうぞお許しください。

そして秋祭りの時期は、氷見の泥かきで、春祭りになったらまた門前の獅子舞で、みなさんと再開できるのを楽しみにしています。大丈夫、氷見も必ず震災から、水害から立ち直ります。仮設が浸水した浦上だって祭りが復活しましたし、ごうらい祭りだって再開したのですから。そして能登の祭りは、被災から復興した方が、さらに美しく輝いたりするものなのです。この3年、いくつも見て、手伝ってきたのです。

活動報告 2026年8月30日

・七尾経由で論熊に。今でも七尾経由。

・「ろんくま」さんとお会いし打ち合わせ、自治会にもとおしてもらう。正常化後の宿泊が楽しみ!

・氷見・いきいき元気館へ。

・「154年前のご恩を、2年前の経験で(勝手に)返す」プロジェクト

・得物だし。少ない…。

・サーキュレータのナンバリング。48台で2時間。これは大変だ…。

・明日からしばらく通う。増援が増えるまで、勝手に御恩を返す。

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